ある出来事から思うこと

 

 10月だというのに暖かい日が続いていますね。朝晩は冷えますが、日中は半そででもいいくらいで過ごしやすいです。

 

 今年の秋は暖かいせいか、いつもより台風が多いような気がします。今週末は大きい台風が来るそうです。

 

 千葉で災害に遭われた方々が心配で気になります。北海道への影響はまだわかりませんが、3連休にお出かけの予定のある方はどうぞお気をつけください。

 

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 今朝、テレビで「学校の先生が同僚をいじめて問題になっている」というのを観ていました。その内容から感じたのは、「子どもが子どもにするいじめ」「会社(バイトやパート先)の上司や同僚がするいじめ」などとなんら変わらないなということでした。

 

 「いじめ」という言葉はどこかやんわりした感じがします。事実をぼんやりさせている、矮小化している印象を受けます。今回の出来事もそうですが、いじめといわれる内容をみてみると、傷害や暴行という言葉が適切、と思うことが多いです。

 

 学校の先生が同僚をいじめている、と聞くと一瞬意外な感じがしますが、「人の集まるところにいじめあり」で、どんな人の集まりでも、どんな場所や空間でもいじめ(嫌がらせや暴力)はあります。

 

こういうことは、本当は学校で教えてほしいです(無理だと思って言っていますが)。教えてほしいというより、教える(伝える)必要があると常に思っています。

 

将来に希望や夢を持たせる言葉や人を思いやる心を教えることも大事なこととは思いますが、人の集まるところで必ず起きる現実や事実、矛盾、対処方法を教えて(言動・態度で伝えて)あげないと、人の集まるところ、人間社会で生きていくのがものすごく大変になっていくと思うんですね。

 

いじめられている側(被害側)だけでなく、いじめている側(加害側)も大変な思いをしていて、どうしていいかわからないから、いじめや暴力という形でSOSを出しているのではないかと私はいつも感じています。

 

 

 子ども同士のいじめ、大人から子どもへの体罰や虐待、大人から大人への嫌がらせやハラスメントや暴力的なクレーム。被害を受けている人はもちろんですが、加害側もなにかに困っていたり追い詰められていて、必要なサポートが得られないまま加害・被害が広がっているのではないかという危機感を抱きました。